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旧藩士の墓

 斗南ヶ丘で唯一生き残った島影家や斗南会津会の人々が建てた碑が、わずかに残っている会津藩士の墓碑をあたたかく見守っています。

 明治元年九月、朝敵の汚名を着せられたまま廃藩となった会津藩は翌明治二年九月太政官より家名再興の沙汰をいただき同年十一月松平容大公(数え年二歳)をもって陸奥国(現在の青森県の三戸・上北・下北の三郡と岩手県の一部)に禄高三万石の立藩が許されました。

 しかし豊かな会津盆地で生きそこで育った人々には、斗南の地はあまりにも過酷であり

            みちのくの斗南いかにと人問はば

                神代のままの国と答えよ

                     斗南藩権大参事    山 川   浩

と言わしめたほどでした。

 天慈の覆育を祈り開拓に夢を託した藩士たちではありましたが、志半ばにして命を失った者や、この地を去る者が続出したのでした。